南ア深南部 中ノ尾根山(2296.9m)、合地山(2149m)、諸沢山(1750.4m)、 2015年10月31〜11月1日  カウント:画像読み出し不能

所要時間

10/31
7:07 駐車場−−7:10 ゲート 7:15−−7:54 黒沢橋−−8:56 平森山登山口標識−−9:21 白倉橋−−9:34 小屋跡−−9:45 林道終点−−10:0 1570m沢合流点で休憩 10:24−−1690m沢合流−−11:54 最後の水場(休憩) 12:17−−12:33 左岸に上る−−12:38 市町界稜線−−13:09 2186m峰−−14:08 1940m鞍部−−14:36 合地山P1(2120m)(休憩) 15:04−−15:24 合地山P2(2149m)−−15:38 合地山P3(2100m)−−15:57 合地山P4(2104.9m三角点峰)(幕営)
 
11/1
6:03 合地山P4−−6:35 1782m峰−−7:04 1548m峰−−7:17 1541m峰−−7:23 1480m鞍部−−8:12 諸沢山(休憩) 8:42−−9:08 1480m鞍部−−9:18 1541m峰−−9:33 1548m峰−−10:19 1782m峰(休憩) 10:32−−11:29 合地山P4(休憩) 12:27−−12:44 合地山P3−−13:03 合地山P2−−13:18 合地山P1−−3:34 1940m鞍部−−14:46 2186m峰(休憩) 14:56−−15:30 中ノ尾根山(休憩) 16:11−−17:17 林道−−17:45 白倉橋−−18:40 黒沢橋−−18:45 休憩 18:56−−19:28 ゲート−−19:32 駐車場

場所静岡県浜松市(旧水窪町)、静岡県榛原郡川根本町
年月日2015年10月31〜11月1日 1泊2日
天候
山行種類籔山
交通手段マイカー
駐車場林道ゲート手前に駐車場あり
登山道の有無中ノ尾根山以降は無し
籔の有無中ノ尾根山付近の笹以外はほぼ無し
危険個所の有無合地山〜諸沢山間は痩せ尾根あり
山頂の展望どの山頂も樹林で展望なし
GPSトラックログ
(GPX形式)
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コメント長野からのアプローチの都合で旧水窪町の白倉林道から往復したが、往復の累積標高差が3700mで最後はヘロヘロ、真っ暗な中を林道歩き。基本的に中ノ尾根山以外は藪は薄いが細かなアップダウンが多く疲れて時間がかかる。諸沢山を狙うなら素直に寸又峡から登るのがいいだろう。ただし林道崩壊地の危険度が不明。合地山三角点峰の下りで左足に倒木が刺さって痛い思いをしたまま最後まで歩いたが、下界に戻ったら傷が化膿してさらに痛い思いをした


地図クリックで等倍表示


ゲートより200mくらい手前に駐車スペースあり ゲート
登山届裏側の地図。水窪全体の地図が描かれている。残念ながら川根側は地図外
最初の造林小屋が一番でかい。水もある カーブミラーで地鶏じゃなくて自撮
黒沢橋。木が腐って床が抜けている場所も 10年前も薄かったが今はほぼ消えている
黒沢橋の少し上流の小屋 小屋の前の朝日山登山口あり
工事現場。土曜も作業をやっていた 崩壊斜面の工事
平森山登山口標識発見 10年前は無かったような(気付かなかっただけ?)
白倉橋。ここで林道を離れて西俣沢へ 堰堤は右岸側から越えられる
沢にはワイヤーがあちこちに見られる 最初は水量多く場所を選ばないと渡れない
稀にケルンあり 崩壊した小屋
ここにもワイヤー 左岸側には林道。昔は廃林道だったが再整備済み
珍しく目印登場。でもこの付近のみ 最初の顕著な沢分岐。水量の少ない左俣が本流
鹿の頭骨×2頭分が転がっていた 近くの枯れ木に引っかけておいた
次の沢分岐も水量が少ない左俣へ 次の分岐は涸れた右俣へ。入口は滝
入口の滝。右岸から巻ける 高巻き入口に色が抜けた目印あり
溯上すると水流が復活 水量は少ない
ここから薄氷を纏った滑滝区間 右岸を高巻き
沢に復帰 2mほどの滝を高巻き
高巻き中 沢に復帰
分岐は右へ。右は水が涸れている 次の分岐も右へ。ここが最後の水が取れる場所
少ないがどうにか汲める水量 これより上部はガレに埋もれる
ガレに突入 前回の経験より早めに左岸に上がることに
左岸も急だがトラバース気味に樹林帯を目指す 振り返る。ガレ谷はとんでもない傾斜
登る斜面もとんでもない傾斜 樹林帯は鹿道あり
笹が登場するが低く歩きやすい ようやく傾斜が緩む
市町界稜線到着 市町界稜線から光岳方面
ダルマ薙。いつか通過できるかなぁ 中ノ尾根山は登らず東へトラバース
樹林帯に入ると笹が低くなる ガレた谷が出てきて上を目指す
谷を越えて再び横移動 合地山への尾根へ乗る
2186m峰 帰りのため2186m峰に水をデポ
合地山まで目印はそこそこ多い たまに北斜面で笹が消える個所あり
2104m肩から南へ進路変更。方向注意 低い笹と縦横無尽の鹿道が続く
ストック発見。木に引っかけておいた 別の場所にもストック
ようやく笹から解放 1940m鞍部はシラビソ幼木藪
合地山P1登り始めだけ開けた草付き 草付きから見た池口岳南峰
倒木+幼木帯を潜りぬける。踏跡あり 歩きやすい植生に変わる
合地山P1(2120m) P2へ向かう。基本的には歩きやすい植生が多い
もうすぐ山頂 合地山最高点P2(2149m)
P3へ向かう P3近くは森林限界を思わせる低木と石楠花
合地山P3(2100m)。シラビソが低い P3から西を見る。低いシラビソが並ぶ
P3に水をデポ P3の下りは岩壁で北から巻いて下る
P4への登り 再び歩きやすい植生に
合地山P4(2104.3m) 沼津かもしかが設置したメモ入れ
合地山P4で幕営 合地山P4を出発
下りで迷いやすい場所はこの目印あり 日の出
P4の下りは倒木が多い。途中で左足負傷 1760m平坦部
1760m平坦部の小ピーク 1700m付近
1700m峰 1700m峰の下り。短い区間だが急
1680m鞍部。両側は切れ落ちている 1548m峰
1548m峰の先のガレから見た南の展望 1541m峰の境界標識?
1480m鞍部 ようやく諸沢山への登り
歩きやすい植生と倒木無し 1588m標高点先の二重山稜
往路は南側の尾根を登った 最後の登り
諸沢山山頂 合地山と同じシリーズ標識
1700m峰の標識。帰りに気付いた 1690m鞍部で尾根を塞ぐ木
1782m峰で休憩 合地山P4への登り。倒木が鬱陶しい
合地山P4。この時点で疲労困憊 合地山P3。水を回収、というより投棄
合地山P2 合地山P1
1940m鞍部 2104m肩
樹林の隙間から見た鶏冠山南峰 合地山が良く見える
中ノ尾根山東斜面から見た北から東の展望
中ノ尾根山直下なのに踏跡が見当たらない 中ノ尾根山山頂。もうヘロヘロ
林道へ向かうが道が薄い 傾斜が無くなるとほぼ道が分からない。適当に笹を泳ぐ
たぶん道に乗ってない。2214m峰をトラバース 2214m峰から西に落ちる尾根に乗ると踏跡復活
南には黒沢山 樹林帯に入ると笹が低くなる
徐々に暗くなってきた 標高が落ちたのに両側は笹の海
最後は尾根の東をトラバース やっと林道に出た。かなり暗くブレている
登山口の休憩小屋 寝るのにはイマイチな造りだがストーブあり
白倉橋。もう真っ暗 黒沢橋近くの造林小屋には神戸ナンバーの車が!
黒沢橋 一番下の造林小屋で水を飲む
ゲート到着! 車到着!! 今日はマジで疲れ果てた


 南ア深南部の核心部で登り残しはあと僅か。千頭山と諸沢山だ。千頭山は寸又川左岸林道に登山口があったが今は林道は廃道化し、あちこちで大規模に崩れて歩くのが危険なほどになってしまった。ただでさえゲートから距離が長く1日歩いても登山口まで届かないほどだったのに。今考えれば信濃俣に登った時に一緒にやっつけておけばよかったがもう手遅れ。

 道は無いが池口岳南峰と尾根でつながっているので池口岳から下る選択肢もあるが、2212m峰の南側の等高線の間隔が尋常ではない。ここは間違いなく崖だろう。調べてみるとダルマ薙と呼ぶようだ。ここの地形は尾根が不明瞭で登りも困難だが下りはとてつもなく困難が予想されることは硫黄岳や布岩山で身にしみて体験している。そう簡単に登れる(下れる)山ではない。

 安全を考えると旧水窪から白倉林道に入って中ノ尾根山、合地山と歩き、諸沢山を往復して合地山北東尾根を下って千頭山登山口近くで林道に下り、千頭山を目指すコースだ。ただし日数は最低4日かかると予想された。ダルマ薙を登って池口岳に達することが可能なら少し短縮可能だがリスクがある。

 文化の日の飛び石連休は連休中日に休みを取って4連休を確保。しかし天気予報が悪い。日本海側はずっとNG。もう北志賀高原はダメだろう。天気がいいのは土日の2日間で月曜は広範囲で雨。南ア深南部も例外ではない。しかし4連休だから日曜日に思いっきり体力を使い果たしても月曜が休みだから問題ないし、帰りの時刻を気にする必要も無く、長野市から遠い深南部を訪問するのにはちょうどいいと判断した。ただし好天の2日間では時間的に諸沢山のみしか登れないが、しょうがない。

 諸沢山に登るルートは2つ考えられる。旧水窪から白倉林道〜中ノ尾根山〜合地山経由と、寸又峡温泉からだ。しかし長野市から寸又峡温泉は遠すぎる。東京からでも遠かったのがさらに遠くなった。さらに千頭ダムより奥の林道が大規模崩壊しているとの情報が入っている。ガレの程度がよく分からず大ザックを背負ってガレを横断できるか自信がない。そんな理由でアップダウンがきついが旧水窪側がいいとの判断になった。

 長野市から旧水窪でも遠い。いつもなら飯田ICで降りて矢筈トンネル〜兵越峠経由で水窪に入るが、カーナビの案内は飯田山本ICで降りて三遠南信道で国道151号線へ出て途中で天竜川沿いへ移り、遠山川沿いで南信濃に入って兵越峠経由と出た。矢筈トンネル経由にしようと経由地を設定してもカーナビは基本的に同じルート。う〜ん、こっちの方が距離が短いのだろうか? ちょっと疑問だがカーナビに従うことにした。

 今回は距離が長いので久しぶりに豪勢に高速道路を使う。深夜割引にもならないのでそれなりの金額を取られて国道151号線へ。あとはカーナビ頼りだったので全く道を覚えることができなかった。久しぶりの遠山郷から兵越峠へ向かう国道は短いながら立派なバイパスができていてびっくり。青崩峠下を通過するトンネルも工事が始まるようで、数年後には水窪側の立派な草木トンネルとつながるのだろうか。道幅が細くウネウネして走りにくく冬は凍結する兵越峠より格段に走りやすく所要時間も短縮されそうだ。新道はまだ最初の2kmくらいしかできていないので、その後の長い距離は古いクネクネ道を進んで水窪へ。

 その後も白倉林道ゲートまでは遠かった。途中、通行止めの看板が出ていてドキっとしたが、途中の土砂押し出しは全て片づけられて普通車でも問題なく入ることができた。日付をまたいでやっとゲート手前の駐車場に到着。車はゼロだったが酒を飲んでいたら1台やってきて男女2名の登山者を下ろして戻っていった。登山者はライトを付けて林道を歩き始めたのでびっくり。夜間登山か。こちらは明るくなってから出発なのでそのまま寝た。

 初日から行程が長いので早出したいところだが睡眠時間が短すぎる。4時間半寝てから起床。辺りはすっかり明るくなっていた。朝飯を食って出発。ザックの中身は準冬装備で重い。これに途中から1泊分の水の重さが加わるので冬装備を越える重さになるだろう。この点を考えて今回は中ノ尾根山登山道を使わず、10年前に合地山に登った時に使った沢ルートにする。白倉橋で林道を逸れて西俣沢を遡上、できるだけ標高の高い所で水を得て労力を削減する作戦だ。この場合、中ノ尾根山北側鞍部で市町界尾根に出ることになる。沢の険しさは10年前と変わりがなければ特に問題は無いはずだ。近年のゲリラ豪雨で増水することは多いだろが、増水で沢が土砂で埋もれても滝が新しくできることは無いだろう。

 ゲートの登山ポストで正直に諸沢往復を記入。ゲート横の岩でゲートを巻いて長い林道歩き。最初の一番大きな造林小屋の屋根下で昨夜の男女が起床したところだった。そうか、夜間歩きではなくこの小屋まで歩いて寝たのは正解だろう。ただし小屋は施錠され入れなかったので小屋の間に渡された屋根の下というわけだ。中ノ尾根山ですかと聞いたら曖昧な回答だったので、朝日山の尾根のいずれかのピークなのかもしれない。

 黒沢橋には未だに黒沢山登山標識があるが、10年前には微かに見えた地図もほぼ消えてしまっていた。さて、本当に登山道は存在するのか? 橋の路面は木製だが朽ちて所々に穴が見えていた。橋入口は通行止めのロープが張ってあったが、営林所でももう使っていないのかもしれない。橋の先の造林小屋の目の前には朝日山登山口標識。これは10年前と変わらない。ここで工事用トラックが上がっていった。土曜日でも工事をやっているようでご苦労様。その工事現場は林道から谷まで斜面が崩れた個所の工事だった。動いている索道を初めて見た。

 工事現場の少し先の斜面で何やら標識を発見。そこには「平森山」と書かれていた。帰ってからGPSのログで確認したら平森山から南→南東へ下る尾根と林道が交差する場所にあった。道の程度は不明だがおそらく造林用の道だろう。朝日山と組み合わせて周回ルートに最適だろう。

 白倉橋に到着。ここからしばし沢歩きだが前回の記憶では苦労の記憶は無かったのでたぶん大丈夫。いきなり堰堤だが右岸側に腐食した木製桟橋がかかっていて簡単に越えられた。でもこの状態だと10年は持たないかな。その場合は高巻きが必要だろう。

 沢に下りると水量はまあまあ。ただし河原が広いので問題なし。そのまま右岸を歩き、徐々に川幅が狭まり対岸の方が歩きやすくなったところで飛び石で渡渉。まだこの付近はそこそこの水量があってどこでも自由に渡渉できるわけではないが、選択肢は多く存在する程度の水量と地形だった。

 やがて右岸側に完全崩壊した小屋跡が登場。林道跡も見られないので人力で資材を運んだのだろうか? 規模は小さそうだった。さらに溯上すると対岸(左岸側)上部に林道登場。前回は完全に廃林道だったような記憶があるが今はきれいに造成され直していたのにはちょっとびっくり。帰ってからGPSのログを見たら地形図の終点よりちょっとだけ先に延びたようだ。

 標高1570m付近で顕著な沢の分岐が登場。ここは左側(ほぼ直進)が本流だが右側の沢の方が水量が多い。ここで休憩。この先からはかなり水量が減って渡渉は自由にできるようになる。ここまで人工物は多かったが目印は少なかった。道があるわけではないので歩きやすい所を適当に歩けばいいようだ。

 標高1640m付近では2頭の鹿の骨が転がっていた。どちらも雄の鹿で頭骨には角が付いていた。鹿の角は春になると自然に落ちるので頭骨とは完全にはつながっていないのかと思ったらそうではなく、落下する時期以外はがっちりと骨とつながっていて角だけ外すことは不可能で、角だけ持ち帰るのなら鋸が必要であった。もう南アでは鹿の角は拾ったし、こんな重い荷物をここから持ち上げる余裕はないし、角の先端の溶け方からして長年経過しているのは間違いないのでお持ち帰りはしなかった。代わりに目立つように近くの流木に引っかけておいた。金鋸でも持っていけば4本の鹿の角をゲットできる。

 標高1700mで再び顕著な沢の分岐が登場。右から合流する水量が多い細い沢は枝沢で水量が少ないまっすぐの本流を登っていく。標高1730mでも分岐が登場。本流は右に分岐する涸れた沢で、直進の水量が多い沢は支流であるが騙されやすい。本流の水流は無いが前回の経験でまだこの先で水があるはずと判断し、まだ水は汲まなかった。

 本流入口は3mくらいの滝になっていて谷の中は登れないので、右岸側を高巻きする。前回、ここには目印があった記憶があるが、色が抜けて目立たなくなった古い目印紐が残っていた。この先は谷が細くなり傾斜が増してくるが、先日の八方山の八方沢上流部よりはずっと沢らしい地形で戸惑うことはない。

 少し登ると水流が復活して一安心。しかし高度が上がって気温が下がり、水の流れが無く水が飛び跳ねて濡れる程度の場所は氷が付くようになってきた。こうなると乾いた場所しか歩けないので行動が制限される。標高1950m付近では滑滝状の地形が続くようになり、岩の上に薄く広がった流れの周囲は凍っている。流れで濡れた石は氷よりはマシだが滑りやすく、沢の中を歩くのは無理と判断して右岸の草付き急斜面をを高巻き。距離は50m程度か。石ゴロゴロの河原に変わってから沢に降りる。

 標高1950m付近で谷が分岐。ここは右が正解。そのすぐ先で2mほどの滝地形があったが、登れそうな場所が濡れて凍っているので谷を登るのは無理と判断、今度は左岸側の斜面を高巻き。なかなかの急斜面で一度巻いたらなかなか降りられる場所がないが、やっと傾斜が緩んで谷に復帰。

 標高2000m付近でまた谷が分岐。水が流れているのは左側だが、水が枯れた右が正解だ。私の記憶ではまだ上流で水が出てはずだが徐々に心配になってくる。そこから僅か上で再び分岐が登場。ここも左の沢の方が水量が多いが、この高さでは表面のほとんどが凍っていて水は取れない。右の沢は凍っていない僅かな水流で、もうこれ以上水は期待できないと判断して休憩を兼ねて時間をかけて水を4リットルほど汲んだ。今の季節ならたぶんこれほど水を使うことはないだろうが、この先はもう補給できる場所は無いので多めにした方がいいだろう。その代わりに軽量化のため途中2か所で水をデポすることにした。500ccのペットボトル×2本だ。こんなことは初めてだが今回のように往復する場合は有効な手段だろう。

 この先は谷の中は上部から落ちてきた落石がぎっしり詰まり、上部に行くと石の大きさは小さくなって砂利の斜面が徐々に急になってきて足元が安定しない。前回の経験でこのまま谷を詰めるのは危険なことを知っているので早めに左岸側に逃げることにする。右岸側は崖で登るのは不可能なので左岸しかないのだ。しかし左岸も急で場所を選ばないと取り付けない。前回もヒヤヒヤしながら登ったが今回も同様で、まっすぐ登るのは不可能な傾斜でトラバースできる足場を探して横移動。振り返るとガレに埋もれた谷間の傾斜がえらいことになっていた。あんな状態でも雪が積もれば通過可能かなぁ。

 シラビソが生える斜面まで到達すれば安全地帯で、木に掴まりながら高度を上げる。すぐに笹が登場するが、ここは志賀高原と違って根曲竹ではなく普通の笹。茎が細く柔らかいので漕ぐのは楽だ。高さもせいぜい腰程度で見晴らしも良く先が見えるのもうれしい。良く見ると鹿道が縦横無尽に走っているがかなり薄いし、目的の鞍部に巻くように向かう道が無いので適当につないで歩いたり、鹿道がない斜面を歩いたり。

 やがて中ノ尾根山北鞍部より僅かに中ノ尾根山側に到着。山頂方向に向かって笹の中に薄い踏跡が登っている。前回はこの鞍部付近で幕営したんだったなぁ。あの時は雪が降るくらい寒かったが今回はほぼ無風快晴で体感的には暖かい。

 面倒なので中ノ尾根山には登らずこのまま斜面をトラバースして合地山へつながる尾根を目指すことにする。最初だけシラビソ樹林が開けた展望のよい笹斜面で、南ア南部を見渡せる。目が行ってしまうのはダルマ薙で、あの岩壁帯を迂回可能かこの距離では良く見えない。一応、樹林帯はつながっているので行けそうな気がするがはたしてどうだろうか。

 シラビソ樹林に突入すれば笹が薄くなり歩きやすくなる。前回は明瞭な鹿道を歩いた記憶があるが今回はそれらしき筋は無く適当に横移動を継続。途中、大きくガレた谷にぶつかって通過は不可能なので上に迂回。その先で斜面が緩み尾根に合流したことが分かった。明瞭な踏跡があるかと思いきや、今まで出合った鹿道と同程度の道の太さで人間の踏跡というより鹿道と呼ぶのが正解だろう。う〜ん、前回歩いた時もこんな程度だったかなぁ。もう少し踏跡が濃かったような気もするが・・・。

 とはいえ、尾根に乗れば踏跡の有無にかかわらず尾根を辿ればいいのであまり気にしない。この付近の笹もせいぜい腰の高さで見晴らしがよく、茎は細くて柔らかいので笹の中でもさほど苦労せず歩ける。2186m峰手前は二重山稜になっているがどちらを歩いても問題ないようだ。2186m峰も低い笹に覆われた山頂。倒木がありその下に500ccペットボトル1本をデポ。帰りに使うことにして往路の荷物を500g軽量化。この倒木は割と特徴的なので水が見つからなくなることはないだろう。

 2104m肩は樹林が開けて笹原がやや深くなるが、北志賀高原の根曲竹と比較すればどうということはない。ここで尾根が右に曲がるが特に道は無く方位磁石で進行方向を確認して広い笹の緩斜面を下っていく。そのうちに笹の中に鹿道が現れるが尾根の最も東寄りの筋が一番濃く、登山道として利用されているようだ。途中、木の根元に放置された折れたストックを発見。目印代わりに木に引っかけておいた。そこから少し下った所で別のストックが木にぶら下がっていた。落し物の多さから見て中ノ尾根山〜合地山の間はそこそこ入山者がいるようだ。ただしまともな道はやっぱり存在しない。

 1940m鞍部手前にも鞍部があって正確な鞍部がどこなのかは帰ってから分かったが、尾根が細まった偽鞍部付近から笹が薄くなっていた。1940m鞍部より先では笹は完全に消失したが、鞍部付近は強固なシラビソ幼木籔に突っ込む。登り始めも幼木帯で背をかがめて潜るように歩くが、すぐに背の高いシラビソ樹林に変わり歩きやすくなる。薄いながら踏跡ありだが藪は無いので尾根を外さなければどこでも歩ける。

 傾斜が緩めば合地山P1到着。ここは広い平坦地で幕営も可能な場所だがまだ時間があるので幕営は先だ。とは言え水の重みが加わってからかなりお疲れモードなのでここで休憩。本日の幕営場所を検討。17時くらいまでならライト無しで行動できるだろうから、合地山P4(三角点峰)を越えて1782m峰くらいまで進めそうだ。しかし考えてみると合地山P4より先は大きな下りとなり、帰りに大ザックを背負って登り返す必要がある。ならば合地山P4で幕営し、翌朝に軽装で諸沢山を往復するのが得策と思えた。これだと2日目の行程が長くなり下山途中で暗くなる可能性があるが、それは林道歩きの途中のことでライトで歩いても問題なかろう(体力的には問題あるかもしれないが・・・・)。

 P2まで標高差60m下って90mの登り。この間にはシラビソ幼木が多少あるがそれほど酷くはない。合地山P2(2149m最高点=合地山山頂)に到着。ここも雰囲気はP1と同じでシラビソ樹林に囲まれた平坦なピーク。立派な山頂標識が取り付けられていた。ここも幕営可能な場所だが先を目指して通過する。

 倒木の多い尾根を下って登りにかかるとそれまで背の高かったシラビソの高さが低くなり幼木籔が登場。石楠花も混じってまるで森林限界の様相だ。P2山頂部も背の低いシラビソ樹林で他のピークとは趣が異なる場所だった。なぜここだけこんな植生なのだろうか? ここでも水を500ccデポした。合計1kgの軽量化。これなら明日は行動途中で水が無くなっても問題なし。安心して水を飲める。

 地形図では読み取れないがP3の下りは崖になっていて、てっぺんから素直に尾根を辿ると本来の尾根より北寄りを進むことになる。しかしここは木志賀高原とは違って発達した背の高いシラビソ樹林で視界は良く、本当の尾根が右手にあることはすぐ確認できるので右にトラバース。これが安全なルートだ。尾根に復帰すればその後は安全ルートが続く。

 緩やかな尾根を登り切れば本日の幕営地、合地山P4(2104.3m三角点峰)に到着。ここもP1、P2同様の平坦な樹林の山頂で幕営地点には最適だった。三角点周辺に複数の山頂標隙があり、北側の標識が付いた木にはインスタントコーヒーの瓶がくくりつけられ、沼津かもしかの名で「名刺入れ」と書かれていた。これは深南部でよく見る物体だ。結構な量のメモが入っていて、合地山の訪問者のそれなりの多さを物語っていた。

 まだ明るく行動可能だが決定通りここで幕営。できるだけ水平な場所を三角点北側に見出してテント設営。当然、こんなところに他に訪問者がいるとは思えないのでどこに張っても迷惑にはならない。周囲は深いシラビソ樹林でもし風が吹いてもテントは守られるだろう。気圧配置からして強い風はないだろうが。水の量に余裕があるので安心して水割りを堪能できた。

 今回は準冬装備でシュラフは冬用、マットはエアマット。防寒着も多く持ってきたので朝方の気温は-2℃まで低下したが快適に寝ることができた。

 翌朝は5時前に起床。現在の日の出は6時ちょっと過ぎ。その30分前に明るくなり始めるがここは樹林の中なのでライト不要になるのはもっと後のはずで、出発は6時を予定。朝飯を食ってまだ時間があるのでできる範囲でテント内部の整理を済ませてから出発。上空は明るいが樹林の中はまだ薄暗くライトが必要な状態で、道無き尾根を歩くのにはちょっと不安だ。とはいえすぐ明るくなるから迷ってもちょっとだけ待てば周囲の広範囲が見えるようになるだろう。

 下り始めてすぐから倒木が目立つようになる。深いシラビソ樹林だから当然かもしれない。倒木は高密度ではないが広範囲に存在し、尾根直上を進もうとすると必然的に倒木を乗り越えることになるが、足を上げる動作は疲れるのでできるだけ迂回路を探しながら下っていく。その途中、倒木に左足をぶつけた。こんなことはしょっちゅうあって足には生傷が絶えないのだが、今回ばかりは様子が違った。倒木に当たったのは左足脛の外側側面で、イヤに痛かったなぁと当たった場所を見ると皮膚の上に板状の木片が突き出している! 倒木の一部が足に突き刺さっていたのだ。少々ショッキングな光景だが、足尾で負った右手の傷と比較すれば軽いと言えよう。傷の幅は1cmくらいで木片の厚さは数mm。足に対して垂直ではなく皮膚に沿う形で浅く刺さっていて、皮膚表面が盛り上がっていた。幸い、出血はほとんどない。

 木片が刺さったままで歩くわけにもいかないので引き抜くことに。しかしこれが意外に固かった。引っ張っても抜けないのでちょっと焦る。釣り針の「返し」のように引っ張ると引っかかる形状がどこかにあるのかもしれないが、倒木の破片なのでそれほど変な形にはならないような。意を決して思いっきり引っ張ったらスポっと抜けた。体内にめり込んだ深さは2cmくらい。先はそれほど鋭くはなく、どうしてこんなに見事に刺さったのかちょっと不思議だった。抜いた後も出血はほとんどなく、傷は筋肉に達せず脂肪層までだったようだ。血が出ていないのなら大丈夫と傷にばんそうこうを何重にも貼り付けて続行だ。たぶん足尾での怪我の経験が無ければここで計画を断念して帰っていただろう。その方が良かったかもしれないが・・・歩いてみたが傷が痛まないわけではないが支障が出るほどの痛みではなかった。よかったぁ。

 合地山からの下り始めは意外にも新しそうな赤い荷造り紐の目印あり。でもここは尾根が明瞭なので問題なし。しかし標高2020m付近の尾根分岐は正しい尾根の方向は出だしは急な下りで尾根っぽくなく、より尾根っぽい東側に引き込まれやすい。そちらに引き込まれたが下ると尾根の傾斜が急になり地形図の正しい尾根とは地形が異なるのでミスったことが分かる。この点は先日の布岩山東尾根の経験が生きている。周囲を見渡して右手(南)に正しい尾根があるのはすぐにわかってトラバース。でもここは露岩混じりの急斜面でまっすぐ横移動はできないので少々高巻き。正しい尾根に乗ると赤い荷造り紐があった。

 次の尾根分岐、標高1970mでは正しい尾根は左へ。ここにも赤い荷造り紐の目印あり。その次の尾根分岐はすぐそこで1930m付近だが、ここも注意していないと北東方向の太い枝尾根に引き込まれやすい。正しい尾根の入口は最初は尾根形状を成していないので間違いやすいが、ここにも例の赤い荷造り紐あり。たぶんこの目印はここが最後だったと思う。この後も尾根分岐はあるが、ここまでの3箇所のように分かりにくい地形ではなく、ちゃんと周囲の地形を見渡して方位を確認すれば間違えることはないだろう。この目印は合地山からの下りで迷いやすい場所だけ付けられていて、尾根が明瞭な部分には見られない。好ましい付け方だ。読図ができればこの目印が無くても正しい尾根をトレースできる程度の地形的難易度だと思うが、目印があると安心感が違う。私も精神的にはこの目印に助けられた。

 1782m峰も山頂部が平坦で幕営可能な場所だった。ここで尾根は南東に向きを変えるが顕著な尾根なので簡単には間違えないだろう。1710m峰峰手前の鞍部付近は地形図で見るより細く、尾根のど真ん中にアスナロのでかい木が通せんぼしていて危なっかしく右から巻いたり。1710m峰を越えて1690m肩で南に進路を変えるがここが分かりにくい。地形図から読取れないが出だしが急で尾根っぽくないのだ。ただし尾根の続きはすぐ下に見えているので視界があれば大丈夫だろう。露岩混じりの急で痩せた尾根を慎重に下る。その先の小鞍部は両側とも切れ落ちてちょっと怖い。1548m峰の登りも意外に尾根が細い。

 1548m峰を越えるとしばしなだらかな尾根を進むが微妙なアップダウンはある。地形図で表現されない小鞍部がいくつかあるのでどこが1480m鞍部なのか、帰ってからログを見ないとわからない状態だった。それでもやっとまとまった登りにかかり最低鞍部を越えたことを確認。いきなりの急登で足のギアチェンジが間に合わず息が荒くなる。思ったより出だしの傾斜がきついが左側に獣道と思われる明瞭な踏跡があったので辿ってみたが途中消滅。これまた急斜面を尾根に向かって這い上がった。素直に尾根上を歩いた方が早かったかも。

 1540m、1580mと2段階の平坦区間を通過して登りに変わるところで二重山稜が登場。1580m等高線の幅が広がった部分だ。とりあえず右側(南側)を登ってみる。この登りも結構な傾斜。時々紫の荷造り紐が登場するが、尾根が明瞭なので無くても問題無し。そう言えば合地山三角点峰からここまで、正確には諸沢山山頂まで藪は一切無かったなぁ。やっぱり笹や幼木がないと歩きやすくて助かる。

 最後のまとまった登りをこなし、傾斜が緩んで尾根の幅が広がると諸沢山山頂は近い。地形図の表現から山頂付近では尾根の形状は不明瞭で帰りは迷いやすいかと思いきや、等高線の表現に現れない程度の尾根地形が山頂まで続いていて、帰りも安心して歩けた。

 やっと目的地の諸沢山到着! 合地山三角点峰から直線距離で約4km、所用時間は2時間強だった。広い山頂で合地山と同様の立派な山頂標識あり。ここも藪が無い広い平坦地で幕営適地と言えよう。樹林で展望が無いのは残念だが、ここまで来ると深南部ど真ん中というよりやや寸又峡温泉寄りなので、もし木が無ければ大無間などが大きく見えるのだろう。

 昨日の疲労もあり山頂で休憩。帰りは最低鞍部の1480mから2100mまで登り返す必要がある。しかも途中にアップダウンがあるので累積標高差は700mを越えるだろう。往路が2時間だから帰りは3時間程度だろうか。しかし気になるのは左足の怪我。歩いているうちに傷口ではなく近くのふくらはぎの筋肉が痛くなってきた。怪我のせいなのか、それとも刺さったときに他の場所にも足をぶつけて打撲したのだろうか。筋肉に力をかけると痛むのがいやらしい。歩行速度が落ちるかもしれないなぁ。傷口の感染症が原因でなければいいが。

 目的地に達したものの、ここから白倉ゲートまで戻るにはまだまだ時間がかかる。あまりのんびりもしていられない。ただし帰りはあの迷いまくった合地山の下りが全て登りになるので地図を見なくても迷うことがないのはいいことだ。

 怪我の影響もあるのか帰りの足取りは重かった。下りはいいのだが登りで大幅スピードダウン。1782m峰でたまらず大休止。左ふくらはぎを押すと打撲のような痛み。傷口のばんそうこうは周囲に血がにじんでいるがもう乾きかけていて、元々少なかった出血は完全に止まったようだ。

 ここから合地山の登りはいちだんときつく、山頂に到着したときはバテバテだった。軽装でこの状態ではこの先の大ザックを背負っての行動が思いやられるが、下界に帰るためにはいくら疲れていてもそうするしかない。この時点で帰りは真っ暗になることを覚悟した。

 所要時間を頭の中で計算。ライト不要な時刻に林道に出るには中ノ尾根山を16:00に出発する必要がありそうだ。そこまで出てしまえば残るは林道歩きなので真っ暗でも問題無し。中ノ尾根山の笹藪地帯だけは何が何でも明るいうちに突破しないと山頂で幕営になってしまう。それもでいいのだが明日は確実に雨の予報。濡れた笹藪漕ぎはもうごめんなので林道まで絶対に下らなければならない。最悪、登山口の小屋で宿泊もありだろう。

 テントを片付け水を飲み、余った水は破棄して軽量化して出発。食料、水が無くなったとはいえ準冬装備は重い。合地山P3は岩場を避けて右から巻いててっぺんへ。デポした水を回収、少々口にして200ccほど残して廃棄。もったいないが今は必要最低限の水に抑えて軽量化最優先。P2を通過、P1の登りが本当にきつかった。たまらずP1で大休止。このペースでは中ノ尾根山到着は15:00を回りそうだ。

 P1の下りは調子よくいったが鞍部から登り返すと大幅ペースダウン。どうやら下り用の筋力は残っているが登り用の筋力は体力の限界が近いようだ。でも中ノ尾根山まで苦しい登りが続く。水をデポした2186m峰で大休止。標高差はあと100mしかないのに足が・・・。ここまで疲れたのは本当に久しぶりだ。ひっくり返って休憩。少しでも体力の回復を図る。

 ここから中ノ尾根山まで鹿道はあるが明瞭な踏跡は無く目印もあまり見かけなかった。広い尾根なので登りはいいが下りは要注意。尾根が広いので動物も通路が分散するようだ。もう登りは限界に近く足が動かないので運動密度が低下して体の発熱量が低下し、登っているのに寒さを感じるようになった。長袖とウィンドブレーカーを着る。休憩からしばらくはダウンジャケットも着ていたが、さすがにこれを着たままでは汗が出てきた。

 中腹辺りが一番笹が濃いが山頂が近づくと笹の高さが低くなって歩きやすくなる。そしてシラビソに囲まれた広く平坦な中ノ尾根山に到着。本当に疲れた!

 周囲は足首くらいの高さの笹に覆われているが、山頂付近はハゲて地面が出ていて幕営適地。しかし私は今日中に下山予定でここでのんびりテントを張るわけにはいかない。とは言え体力も限界でこのまま歩きつづけるのは不可能で、山頂でザックを枕代わりに横になって大休止。今日は何人か登ってきた人がいるかもしれないが既に午後3時を過ぎて無人の山頂だ。もう西に日が傾きかけているがまだ暗くなるまで時間はあるので暗くなる前に林道に到着できそうだ。水を飲み僅かな水を残して他は破棄、食料も全て食い尽くしてから下山開始。

 この先は登山道があって楽勝かと思いきや、のっけから道が薄かったが樹林が開けると笹の高さが高くなって踏跡が笹に埋もれて見分けるのが難しくなってきた。私の目でさえ判断が難しいのだから藪初心者では全く道が分からないだろう。ただし、往路の記憶が残っていれば大雑把なルートは分かるので、少ない目印を頼りにどうにかトレースできるかもしれない。私は10年前に歩いたのが最後でルートの記憶は全く無し。途中からは踏跡を見失って少ない立ち木に点在する古い目印を探しながら進んだ。笹が濃い理由は何故かこの一帯はシラビソ樹林が消えていることと、南向きの尾根で日当たりがいい場所であることの2つだろう。日当たりのいい2条件が重なって笹の元気がいいのだろう。山火事でもあったのだろうか、それとも人間による伐採だろうか。

 2200m付近の二重山稜付近からは本格的に道が不明になり、1980m鞍部ではしばらく立木、枯れ木が無く全くルートが分からなくなった。林道に下る尾根は2214m峰から西に分岐する尾根と分かっているのでそこを目指して適当に進めば登山道に出られるが、根曲竹ではなく笹とはいえ密度が高く踏跡無しの笹の海を進むのはそれなりに体力を奪われる。10年前は稜線を通らずに西側をトラバースしたような記憶があるのでそちらを通ったが、途中で周囲を見渡して発見した目印はずっと上方。途中までは尾根上に近いところに踏跡があるようだ。しかし濃い笹の中を登り返す体力は既になく、僅かな鹿道や全くの笹の海を横移動していく。するとこちらにも古い目印発見。ただしほぼ道無し状態で、もしかしたら昔は私の記憶通りにこちらに道があったのが、近年は稜線上に移ったのかもしれない。

 やっと目的の尾根に合流すると笹の下に明瞭な踏跡が登場。ちょうどガレの上部で見覚えのある場所だ。踏跡が出てくればしめたもので、もう取り逃がすことはない。ここより上部はのっぺりした緩やかな地形で踏跡が分散しやすいが、これより下は尾根が明瞭なので歩く場所が集中するのだろう。まだ笹は生えているが上部のように背が高く高密度なんてことはない。

 樹林帯に入って笹が消える個所もあるがまた復活したりと、この尾根は下部まで笹が断続的に続いていた。ただし下れば下るほど道は明瞭になり、両側は背の高い笹でも登山道上は幅広く無毛地帯なので非常に歩きやすいし道を失うことはない。薄暗い中では藪の無い斜面で登山道を探すよりも周囲が笹藪で切り開かれた登山道しか歩ける場所がない状況の方が道を探すのはずっと簡単だ。

 樹林の中では徐々に暗くなってきてライトが必要な明るさに。でもたまに樹林が開けた場所になると結構明るく、南ア深南部のシラビソ樹林の深さを感じる。尾根下部に達すると落葉した唐松植林帯に変わって明るくなり、最後は林道を眼下に見ながらジグザグを切って林道到着! どうにか真っ暗になる前に林道に出ることができた。これで残るは林道歩きだが、ここからだと2時間半くらいかかるかなぁ。中ノ尾根山から1時間くらいで林道に出られたが、このままゲートまで歩きつづけるのは今の体力では無理だろう。途中で一度休憩が必要だろう。まだ明るさが残っているとはいえデジカメのシャッター速度は1/4秒くらいまで低下していて撮影した画像は明るくてもブレブレだった。

 登山口の休憩小屋は窓が1枚抜けていて雨風が入ってしまう状況。サッシにしなくてもいいのでベニヤ板で塞いで欲しい。小屋の中は真中にストーブ、四辺にベンチの構成で、寝るとしたら8人くらいか。土間で寝ればもう少しキャパシティーアップかも。

 長い林道歩きの開始。登りがないのがせめてもの慰め。疲れた足+痛めた左足のふくらはぎが痛いが、林道の傾斜が緩いので中ノ尾根山の下りよりはマシだ。白倉橋に達する前に真っ暗になりライト点灯。充電してきたので車まで持つだろう。もっとも、予備電池は持っているが。

 単調な林道歩きは退屈なので携帯音楽プレーヤーでお気に入りの曲を聴きながら歩く。おおよそ1曲の長さは4分くらいなので、何曲聞いたかで歩いた距離の概算がわかる。しかし林道の距離表示標識は目立たず、真っ暗闇の中では残り1kmの1個しか発見できなかったが。緩やかな下りの林道歩きでは運動密度が低下し体の発熱量が低下しTシャツでは徐々に寒くなってきて着るものを増やしていった。軽い悪寒を感じるようになり微熱が出ているようだ。足の怪我と関係するのか、それとも体の冷えによる単なる風邪か判断がつかない。

 黒沢橋近くの造林小屋で休憩しようと思ったら想定外の事態。造林小屋にはなぜか神戸ナンバーの軽ワゴンが止まっていた。小屋に明かりは見えないがたぶん中で寝ているだろうと、ここでの休憩を諦めて疲れた足を引きずるように先に進む。しかし精神的にも限界は近く、次の造林小屋まで持たずに林道横の草むらにひっくり返って休憩。まだ昼間の地熱が残っていて草むらが暖かく気持ちよかった。残った水を全部飲み干した。

 そしてラストスパート。と言ってもペースは上がらず今までと同じ調子で歩くことしかできない。しかし黒沢橋まで来ればもうゴールは遠くはない。ゲートに一番近く一番大きな造林小屋で水を飲み、ゲートはまだかとカーブのたびに期待するがなかなか出てこない。偽ピークに騙された気分だ。ガードレールの白と反射材を見て誰か登ってきたかびっくりしたが、もちろん無人だった。頭の回転も落ちてきているようだ。

 しかし、とうとう今度こそゲート到着! 登山ノートに下山時刻を記入、ノートには私の後に入山届は書かれていなかった。そしてようやく車に到着。今日は長かった。朝6時に動き出して夜7時半まで動いた。これほど長時間はこの春の南会津七ヶ岳周辺で帰りの車道を間違えて以来かな。でもあの時は日帰り装備なので荷が軽く、ここまで疲労することはなかった。

 計画では明日は雨でも南信の軽い山へ登ろうと考えていたが体力的に無理なのは明らか。また、足の傷の治療の必要もあるので明日は帰ろう。もちろん今日これから帰るのが一番いいが、疲労のため長時間の車の運転は不可能。明日の雨で落石の危険性があるので白倉川沿いの林道を脱出し、兵越峠を越えて遠山郷で車中泊することにして車を走らせた。そしてもしかして神楽の湯の営業時間(PM9時)に間に合うのではと思えるようになり、ちょっと飛ばして神楽の湯に車を走らせたが入浴受付終了はPM8:30で到着は10分オーバー。本当に残念だった。新しく建設中の国道脇で仮眠し、翌朝に長野市に向けて走り出した。


 まとめ。諸沢山単体を目指すなら寸又峡温泉側の方が体力的には圧倒的にお得なことがはっきりした。林道崩壊地通過のリスクはあるが、ネットで調べた限りではまだ通行可能と見た。あちらからなら水を担ぎ上げる必要がないのでさらに有利。一番いいのは縦走することだが、マイカーでは車の回収が厳しすぎる場所だろう。

 足の怪我だが傷を負ってから1日半後に医者に見てもらったが、既に炎症=化膿が始まっていて傷の周囲は広範囲に腫れて熱を持っていた。この状態では縫合できないので傷口を消毒して抗菌薬をもらうことになった。しかし化膿は止まらず3日後に診察に行ったら傷口から大量の膿が出てきて傷口は全く塞がっていなかった。この調子だと完治までに数週間かかりそうだ。足尾で右手を負傷したときは傷口が塞がるまでに10日くらいだったが、今回はもっと長引くだろう。風呂にまともに入れないのが一番の悩み・・・・

 

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